つむりの暮らし手帖

晴れの国からこんにちは。

15年以上前の黒歴史を発掘したら記憶の蓋が開いたので

のっけから何の話だって感じでスミマセン。

ちょっとした、いや、ちょっとしてないきっかけで押し入れの段ボールをひっくり返していたらアレが出てきました。すっかり忘れていた。しまい込んで忘れるのが悪いクセだと思う。冬支度をする栗鼠か。

ともかくも、15年以上前のカルテが封筒に入って出てきたのである。15年以上前と言えば全身全霊病んでいた時分だ。一方の今と言えば平穏極まりない。子育ての嵐の中とは言え、世界の底が突然抜けるような不安が渦巻く世界に比べれば平穏そのものでしかない。しかも子育てには終わりがある。そこに過去が現れた。文字通りの黒歴史が詰まっている。晴天の霹靂。質量を伴う侵入体験。こんなところに地雷を埋めたのは誰だ。私だ。

そもそも何故こんなものがわが家にあるのかと言うと。

当時、記憶と人格の連続性を失っていた私はそれらを取り戻そうと考えたのだ。そして信頼できる記録であろうカルテの開示を依頼する。今となれば何が「そして」なのか理解不能である。もちろん当時かかっていた精神科の先生(敬意を表して師匠と呼んでいる)には大反対された。どうしてもなら師匠立ち合いの元で極力記憶と感情を刺激しないように見る、精神状態が悪化するようなら止めると約束させられた。そしてカルテは封筒のまま師匠預かりとなり、師匠が突然脳出血で倒れたことで機会を失う。

1年ほどで戻ってきた師匠は、かつての師匠ではなかった。変質した師匠と連続性のない私。2年も経たないうちに終わりが来た。やっぱり無理だった、と師匠は言った。私もなんとなく分かってた。知ってた。

 おしまいの日に封筒を返された。師匠は約束なんてとうに忘れていたかもしれないけれど、私は律儀にそれを段ボールの中にしまい込んだ。そして、段ボールの蓋と同時に記憶にも蓋をして今に至る。ドラマですね。

封筒の紐は解いたが中は見ていない。当時の私と現在の私は主観的には連続体ではないし、現在の私は書き手が師匠であることが怖い。当時の私がどのように自分を語ったか、ではなく、当時の私がどのように観察されたのか、がそこにはあるはずで。師匠との約束がなかったとしてもそこに躊躇を覚えないわけがなく、私は再び段ボールに蓋をした。

 

ということでこんにちは。はてなではお久しぶりです、つむりです。こういう益体もない日記を書き散らかしたく出戻ってみました。

 

師匠との日々。

複雑性PTSDの治療を通じて見た親役割と人の来し方行く末について | つむりのおと

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はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」