つむりの暮らし手帖

晴れの国からこんにちは。

北陸育ち、40代の私の宗教観について

40代になると親は弱る、自分の身体にはガタが出る、子の病気で右往左往する。早ければ代替わりや友人の死を経験するし、死がそれまでより身近になるから、宗教については多かれ少なかれ考えざるを得なくなるのではないかしら。宗教は親から継承するものだと私は思っているのだけど、私が疑わなさすぎなのだろうか。ふと思った。

僧侶が見てきた「自分は無宗教だという40代が簡単に新興宗教にコロッと入信していた」出来事に思う「何も知らない無宗教はノーガード」 - Togetter

このまとめを見て思いついたことを書く。

地方出身の学生は比較的数が少ないためか、地方出身を共通点としてなんとなく仲良くなる。このtweetに出てくる同期も地方出身者だ。

その人に「あなたならきっと分かってくれるから」というような前置きと一緒に渡された本は、科学ともスピリチュアル?ニューエイジ?ともつかず、私の科学観や宗教観とは相容れないものだった。本を貸してくれたことには丁重にお礼を述べ、それ以上は深入りしていない。その後何度か集まりや合宿の誘いを受けた記憶があるが、生来めんどくさがりであるし、そも相容れないし、大学当局による注意喚起*1が引っかかっていたこともあり、すべてお断りした。今その人は何をしているだろうか。連絡取ってないから分かんないや。

京都・東本願寺真宗本廟)境内から御影堂門。

40代の私の宗教観と題しておきながら、私自身は特定の宗教を積極的に信仰しているわけではない。私の出身地である石川県は信仰が篤い地域で、実家のあたりは3世代や4世代同居の複合家族が当たり前な農村地帯だったから、宗教的な習慣や行事が当たり前に生活の中にあった。農業と神様は切り離せないし、阿弥陀様は拝むもの、先祖は供養するものだ。そんな中で育った私の習慣や価値観の一部は宗教の影響で形成されていると思う。

祖父母や両親は毎朝神棚や仏壇にお供えをしてお下がりをいただく習慣があった。月1回はお坊さん(実家のあたりではごぼさんと呼ぶ)がやってきて仏壇に向かいお勤めをする。居合わせたときはお経さまとお話を聞いて、お茶にお相伴した。ごぼさんのお話は子どもには少し難しく、大人になってから楽しめるようになった。報恩講(ほんこさん)や地蔵盆の記憶も強いが、もちろんこれらはお下がりでもらったおやつの記憶である。本来の意味は大人になってから知った。

神社の初詣は拝殿の外ではなく、中で神様を拝み、地域の人と交流するものだった。少しおいて左義長で餅を焼いた。秋祭りの日は早退して神輿を担ぐ決まりがあった。男児は獅子舞を奉納し、女児は選ばれし者だけが巫女の大役をおおせつかった。大人は寄合に出たり、寄進をしたり色々あったようだけど、詳しくは知らない。

当時、私の実家のあたりでは宗教がゆるく生活に溶け込んでいたと思う。だから信仰というよりは、在り様というか、文化やルーツという方が感覚的には近いと感じる。

実家を離れて20年経つけれど、いまだに南無阿弥陀仏(なんまんだぶつ)と手を合わせるとなんとなく落ち着いたり、同じ宗派ならどこ派か気になったり*2、娘が生まれた後にお寺さんが母体の保育園があることを知って宗派を確認して入園を検討したり*3、引っ越しの前後で土地の神様にご挨拶せねばならぬと考えたり、よいことが続くとお礼参りをしたり、宗教由来の習慣や価値観は私の中に確かに根づいていると感じる。

私の祖父母や親や弟妹を見ても、熱量に差はあれどそれらを受け継いでいるように見える。そのせいで頑なになったり、熱量の差で揉めたりすることもある*4から、良いことばかりとは言えない。悪いことばかりでもない。めんどくさいところもあるけど、まあそんなもんだ。

娘のはじめてのお数珠

私は実家を継がないので、結婚後は夫の実家の宗教を意識せざるを得なくなった。

結婚前に夫に聞いたところによると、父方は代々教派神道のひとつのはずが祖父母はキリスト教の洗礼を受けて改宗、母方は真言宗なので、結果的に夫の実家にはキリスト教式のお墓があり、父母はそのお墓には入るつもりがなく、母方のお墓参りでは揃って般若心経を読む。一族郎党みな同じ私の実家と比べると複雑だと思うけど、そんな家もある。

このあたりは、その宗教が他人のためのものか、自分のためかがあると思う。他人のためと捉えるならば、夫の両親が夫の祖父母の意向を汲んだように、私たちは夫の親の意向を汲んで受け継いでいくのだろう。それは自然なことと思える。祖父母のため、父母のためのものを、自分のためのものと捉える日がそのうち訪れるかもしれないし、こないかもしれない。順番どおりなら素直に受け継いでいけそうな気がするけれど、現時点では自分のためのものでは決してない。not for meだ。

繰り返しだけど、今の私の根っこには実家で培われた宗教観がある。他人のためのものはそういうものもあると寛容に捉えはするが、私のためのものは私の領分だと線引きしているから、決して強いてほしくない。

ここまで書いて、順番どおりじゃなかったら揉めるような気がしている。万が一、夫の父母より先に夫や私や娘に何かあったら家庭内宗教戦争が起こりかねない。冗談のような話だが、死ぬまでの毎日の習慣に関わることなので笑い事では済まない。願わくば順番どおりに旅立てますよう。南無阿弥陀仏

取り止めがなくなってきたので終わり。

*1:地下鉄の事件から数年ということもあってか、当時の大学当局はカルトやマルチへの注意喚起に熱心だった。事件を起こした団体の幹部に卒業生がいたことを気にしていたのかもしれない。大学敷地内に新歓の立て看板が林立し、掲示板に様々な学生団体の勧誘ビラが掲示されている隙間を縫うように注意喚起ビラが掲示されていたのは異様としか。手口についても割と具体的に教えていたと思う

*2:歴史的経緯や差異には詳しくないので、単に親しみのあるものかどうかが気になる。ざっくり言うと「どこチーム所属?」って感じに近い。実用的な意味では、大きいところでは東と西でお作法が異なるので、どこ派か知っておくにこしたことはない気はするが、作法より気持ちが大切よね

*3:私はごぼさんのお話に親しみ、お経を暗唱する子どもができあがればよいと思ったけど、自宅から遠かったので夫に却下された。

*4:父は時々、祖父や弟を「宗教かぶれ」と言う。確かに祖父は仏具に凝りすぎだったし、弟は神様についての話がクドい。だけど父自身も毎朝神棚と仏壇のお世話を欠かさない真面目マンなので祖父や弟のことは言えないと私は思う。