昭和な休日。帰ってきた天満屋水族園に行ってみる。
岡山天満屋6階に水族園がやってきた。
天満屋アプリ提示で割引あり。
ウミガメに餌をあげたいと張り切った子に急かされ朝イチに出発、開店前から並ぶ。先着5名の壁は厚く、戦うまでもなかった。
壁に埋め込まれた小さな水槽には小さくてカラフルな魚が多く、玉野の渋川マリン水族館の水槽で「魚の顔が怖い」「大きい魚が怖い」「暗いの怖い」と涙目になった子どもでも大丈夫だった。後半の危険な魚の水槽は、大きくてよく動く歯の尖った魚がいたので、近寄ろうともしなかったけど(笑)
受付で買えるスタンプラリー学習帳(200円)があると観察が捗るのでおすすめ。お絵かき欄があり、子が絵を書いてる間に大人はゆっくり魚を見た。混雑していない時間帯なら、水槽と反対側の壁際でお絵描きしても邪魔にならないんじゃないかなー。全種類の魚が載ってないとこだけは惜しい。
海の生き物を楽しんだ後は壁一面のホワイトボードでお絵描きタイム。ここでもトラップされる子。よろしいやりたまえ。
たっぷり1時間楽しんで会場を出るとすぐ横で化石掘り(500円)をやっていた。砂の中にサメの歯が埋まっているあれ。制限時間3分で見つけた中から1つもらえる。モロッコ産。
ランドセルを見てから出ようと思ったら、子が「ペンギンのもぐもぐタイム見たかった」と。大丈夫、てんまや水族園は再入場料100円(半券またはレシート提示)。当日だけではなく翌日以降も有効なので、会期が終わるまでレシートを置いとくといいかも。
もぐもぐタイムまで時間が空いたので天満屋レストランへ。庶民的なメニューのレストランで、珍しいものは何もない。子にはお子様ランチの天満屋マークの旗と、おまけのおもちゃがバカウケだった。100均のプッシュポップだけどw
サザエさんのアニメで、めかしこんだサザエが「デパートに行くわよ!」とタラオを引き連れてデパートに行き、レストランでお食事をしてお土産を抱えて帰る描写があったのを思い出す。令和の夏休みにベタな昭和のレジャーを楽しむとは。
天満屋館内をぷらぷらしてからレシート提示で水族園に再入場。本当に3人で300円。朝イチよりはかなり空いている。もぐもぐタイムはさすがに混んでたけど、係の人が前後交代しながら見るように案内してくれるので見れないってことはないはず。やさしい。
天満屋を出てイオンモールに行こうとすると娘が「歩きたくない」と。夫は途中にあるワインショップ武田に行きたがったので、夫と別行動で娘を路面電車に乗せた。寝る娘。岡山駅前で起こして地下に入ると「もう歩きたない、でもイオン行きたい」しかたないのでおんぶしたら、また寝た!!!
出先で娘(6歳)が抱っこをせがみ歩かないのでやむを得ずおんぶしたらそのまま爆睡。10分歩いて商業施設の休憩用ソファに下ろし、落ちないよう見守ってるなう。なんて日だ。子どもは体重が20kg超えても出先で寝る。ベビカや抱っこひもを卒業してからがむしろ本番やで。#子育てあるある
— つむり@頭に毬藻が生えている (@TsumuRi) 2022年7月23日
イオンモールで娘の帽子を買う。
なんか大変だったけどよい休日だった。
断捨離は2周目以降がダンゼンはかどる
お日柄が良いので新しいお財布を下ろした。
何年も前にお土産にいただいてしまい込んでいたもの。普段使いには高級すぎる(だってお財布の中身が1万円も入ってないことがザラなんだもん!)と思ってしまって使えなかったのだけど、年齢も40を超えたので、そろそろよかろう。眠らせたまま、私の寿命が尽きるよりは良いはずだ。
断捨離は1周目よりも2周目以降の方が潔い。1周目で少し快適になり、1周目の経験で審美眼がついたことで、2周目以降の方がサクサク決断できるようになった気がする。周回を重ねるごとに育っていくのだと思う。なんだかサクサク手放せたので、昨日から今朝にかけて手放したものを書いてみる。
アクセサリーを手放した。
まず、壊れたものを捨てる。直そうと思ってしまい込んでいたけれど、今まで直さなかったんだもの、直すわけがない。
そのあと年齢に合わないものを捨てようと選んでいたら、娘に見つかって「大きくなったら欲しい!」と予約されたので、ネックレスとピアスと指輪で色が合っているものを1セットだけ残した。
産前に着ていたスーツを手放した。
既に買ってから8年、体型が変わっていて着てみたらガッカリだったので躊躇ゼロ。何よりショックだったのは服のバストトップの位置が合わなかったこと。要は乳が垂れた。
楽だからってブラトップ(伸びてる)ばかり着てたら乳も加齢と重力に負けるというものである。古い服を捨ててホールド力のある下着を買おう。寄せて上げろ!
体型が変わった場合は、この服のためなら体型を戻せると思う服以外は捨てていいと思う。
謹呈された修論・博論の束を手放した。
私が卒業した研究室では関連の深いテーマに携わっていた学生同士で修論・博論を謹呈しあう習慣がある。これが20cmほどの紙束になっていたので手放した。その分野を離れると資料として参照することは二度となく、実際20年以上ダンボールに突っ込んでいたからもういいかなと思った。データあるし。
自分の分は置いてある。これもデータがあるから要らないと言えば要らないのだけど。
捨てるために踏ん切りのいるものはこれくらい。
他に、風呂敷など、ダブってる実用品をちょいちょい捨てた。実用品は想いが乗りにくく、感情や経験や記憶を惹起しないものほど手放しやすいので、使っていない実用品から始めると早い。さあ冷蔵庫を開けてみよう!(まさか賞味期限切れ食品に想いが乗ったりしないよね?)
最近Kindle Unlimitedを再契約したので、片づけ本をiPhoneに読み上げさせながら片づけてる。時々読み方がおかしいけど、ながら聞きなら十分。
この本も好きなんだけど、画像が多いからかうまく読み上げてくれない(笑)
断捨離対象の不要品の多くは収納ケースという説
当地に引っ越してから約1年経った。
だいたい生活基盤は整ったところで改めて断捨離を始めた。うちの間取りは2LDKで、LDK以外の2室をそれぞれ家事室兼仕事部屋、寝室にしている。
子がそろそろ小学生になるし、ランドセルや学習スペースや、数年先には子ども部屋の用意をしなくてはいけないのだけど、子ども部屋にする予定の部屋(現在の寝室)のクローゼットには、大人のものがみっしり詰まっている、なう。
大人の寝室にする予定の部屋(現在の家事室兼仕事部屋)には背の高いメタルラックが2つもあり、片方は子の衣類、もう片方は掃除用品や洗濯用品やメルカリに出して売れていないものが詰まっている。クローゼットもみっしり、なう。現状のままでは2人分の布団は敷けないので、この部屋のクローゼットから全出し&整理を始めた。
引っ越しの前後にかなり整理したのに、どうしていまだにこんなに不用品が出るのか謎である。ごめんウソ言った。リビングやキッチンで使用頻度が低いものを何でもかんでもクローゼットに詰めた痕跡が残っているあたり、謎でもなんでもない。
半分も終わってないのに空の蓋つきケースが山になった、なう。
クローゼットの中に蓋つきケースを積み上げると中身が出しにくく滞るので、中身を引き出しケース(←これも余ってた)に詰め替えた結果がこれよ。どうしてくれよう。
収納ケースは「片付けきるまで捨てない、買い足さない」という鉄の教えがある。とりあえずリビングの棚の上に積んだけど、邪魔すぎるし景観が悪い。半透明なのがせめてもの救い。白は目に煩い。
しかしいっぱいあるなぁ。クローゼットの下段の段ボールに突っ込んでるものを詰め替えて、段ボールを捨てようかなぁ。
断捨離ロードマップ(3年計画)
部屋の役割を変えるまでのロードマップはこんな感じで考えている。
現在の家事室兼仕事部屋(予定:大人の寝室)
- クローゼットの中身を断捨離←今ここ
- メタルラック1つ分の家事用品をクローゼットに収納
- メタルラック1つ分の娘の服を搬出(→子ども部屋へ)
- メタルラックを撤去(処分予定)
- デスクを搬出(→リビングへ)
- 寝室のクローゼットの中身を搬入
- 寝室から布団を搬入
現在の寝室(予定:子ども部屋)
- クローゼットの中身を搬出(→大人の寝室へ)
- 子のものを搬入
リビング
- 子のものを搬出(→子ども部屋へ)
- デスクを搬入
寝室は、クローゼットの中身はともかく室内に小さい絵本棚と布団しかなく、リビングは娘が走り回れる程度にスペースが空いているので、あまり考えなくても空けられるはず。引っ越し前後に大空間を作っといてよかったと思う。
娘が子ども部屋を欲しがる頃(10歳頃と想定)にはサッと部屋の役割を変えられる状態になってたらいいなぁ。(←気が長い)
すき↓
北陸育ち、40代の私の宗教観について
40代になると親は弱る、自分の身体にはガタが出る、子の病気で右往左往する。早ければ代替わりや友人の死を経験するし、死がそれまでより身近になるから、宗教については多かれ少なかれ考えざるを得なくなるのではないかしら。宗教は親から継承するものだと私は思っているのだけど、私が疑わなさすぎなのだろうか。ふと思った。
僧侶が見てきた「自分は無宗教だという40代が簡単に新興宗教にコロッと入信していた」出来事に思う「何も知らない無宗教はノーガード」 - Togetter
このまとめを見て思いついたことを書く。
県外の大学に進学した直後、少し話すようになった同期が本を貸してくれた。科学ともスピともつかず私の科学観や宗教観と相容れなかったので、丁重にお礼を述べて深入りはしなかったのだけど、その後も集まりや合宿に誘われたりはした。生来のめんどくさがりでお断りしたが、もしや。もう20年前の話。
— つむり@頭に毬藻が生えている (@TsumuRi) 2022年7月11日
地方出身の学生は比較的数が少ないためか、地方出身を共通点としてなんとなく仲良くなる。このtweetに出てくる同期も地方出身者だ。
その人に「あなたならきっと分かってくれるから」というような前置きと一緒に渡された本は、科学ともスピリチュアル?ニューエイジ?ともつかず、私の科学観や宗教観とは相容れないものだった。本を貸してくれたことには丁重にお礼を述べ、それ以上は深入りしていない。その後何度か集まりや合宿の誘いを受けた記憶があるが、生来めんどくさがりであるし、そも相容れないし、大学当局による注意喚起*1が引っかかっていたこともあり、すべてお断りした。今その人は何をしているだろうか。連絡取ってないから分かんないや。
40代の私の宗教観と題しておきながら、私自身は特定の宗教を積極的に信仰しているわけではない。私の出身地である石川県は信仰が篤い地域で、実家のあたりは3世代や4世代同居の複合家族が当たり前な農村地帯だったから、宗教的な習慣や行事が当たり前に生活の中にあった。農業と神様は切り離せないし、阿弥陀様は拝むもの、先祖は供養するものだ。そんな中で育った私の習慣や価値観の一部は宗教の影響で形成されていると思う。
祖父母や両親は毎朝神棚や仏壇にお供えをしてお下がりをいただく習慣があった。月1回はお坊さん(実家のあたりではごぼさんと呼ぶ)がやってきて仏壇に向かいお勤めをする。居合わせたときはお経さまとお話を聞いて、お茶にお相伴した。ごぼさんのお話は子どもには少し難しく、大人になってから楽しめるようになった。報恩講(ほんこさん)や地蔵盆の記憶も強いが、もちろんこれらはお下がりでもらったおやつの記憶である。本来の意味は大人になってから知った。
神社の初詣は拝殿の外ではなく、中で神様を拝み、地域の人と交流するものだった。少しおいて左義長で餅を焼いた。秋祭りの日は早退して神輿を担ぐ決まりがあった。男児は獅子舞を奉納し、女児は選ばれし者だけが巫女の大役をおおせつかった。大人は寄合に出たり、寄進をしたり色々あったようだけど、詳しくは知らない。
当時、私の実家のあたりでは宗教がゆるく生活に溶け込んでいたと思う。だから信仰というよりは、在り様というか、文化やルーツという方が感覚的には近いと感じる。
実家を離れて20年経つけれど、いまだに南無阿弥陀仏(なんまんだぶつ)と手を合わせるとなんとなく落ち着いたり、同じ宗派ならどこ派か気になったり*2、娘が生まれた後にお寺さんが母体の保育園があることを知って宗派を確認して入園を検討したり*3、引っ越しの前後で土地の神様にご挨拶せねばならぬと考えたり、よいことが続くとお礼参りをしたり、宗教由来の習慣や価値観は私の中に確かに根づいていると感じる。
私の祖父母や親や弟妹を見ても、熱量に差はあれどそれらを受け継いでいるように見える。そのせいで頑なになったり、熱量の差で揉めたりすることもある*4から、良いことばかりとは言えない。悪いことばかりでもない。めんどくさいところもあるけど、まあそんなもんだ。
私は実家を継がないので、結婚後は夫の実家の宗教を意識せざるを得なくなった。
結婚前に夫に聞いたところによると、父方は代々教派神道のひとつのはずが祖父母はキリスト教の洗礼を受けて改宗、母方は真言宗なので、結果的に夫の実家にはキリスト教式のお墓があり、父母はそのお墓には入るつもりがなく、母方のお墓参りでは揃って般若心経を読む。一族郎党みな同じ私の実家と比べると複雑だと思うけど、そんな家もある。
このあたりは、その宗教が他人のためのものか、自分のためかがあると思う。他人のためと捉えるならば、夫の両親が夫の祖父母の意向を汲んだように、私たちは夫の親の意向を汲んで受け継いでいくのだろう。それは自然なことと思える。祖父母のため、父母のためのものを、自分のためのものと捉える日がそのうち訪れるかもしれないし、こないかもしれない。順番どおりなら素直に受け継いでいけそうな気がするけれど、現時点では自分のためのものでは決してない。not for meだ。
繰り返しだけど、今の私の根っこには実家で培われた宗教観がある。他人のためのものはそういうものもあると寛容に捉えはするが、私のためのものは私の領分だと線引きしているから、決して強いてほしくない。
ここまで書いて、順番どおりじゃなかったら揉めるような気がしている。万が一、夫の父母より先に夫や私や娘に何かあったら家庭内宗教戦争が起こりかねない。冗談のような話だが、死ぬまでの毎日の習慣に関わることなので笑い事では済まない。願わくば順番どおりに旅立てますよう。南無阿弥陀仏。
取り止めがなくなってきたので終わり。
*1:地下鉄の事件から数年ということもあってか、当時の大学当局はカルトやマルチへの注意喚起に熱心だった。事件を起こした団体の幹部に卒業生がいたことを気にしていたのかもしれない。大学敷地内に新歓の立て看板が林立し、掲示板に様々な学生団体の勧誘ビラが掲示されている隙間を縫うように注意喚起ビラが掲示されていたのは異様としか。手口についても割と具体的に教えていたと思う
*2:歴史的経緯や差異には詳しくないので、単に親しみのあるものかどうかが気になる。ざっくり言うと「どこチーム所属?」って感じに近い。実用的な意味では、大きいところでは東と西でお作法が異なるので、どこ派か知っておくにこしたことはない気はするが、作法より気持ちが大切よね
*3:私はごぼさんのお話に親しみ、お経を暗唱する子どもができあがればよいと思ったけど、自宅から遠かったので夫に却下された。
*4:父は時々、祖父や弟を「宗教かぶれ」と言う。確かに祖父は仏具に凝りすぎだったし、弟は神様についての話がクドい。だけど父自身も毎朝神棚と仏壇のお世話を欠かさない真面目マンなので祖父や弟のことは言えないと私は思う。
乳がん検診後の精密検査(造影MRI)を受けた
乳がん検診後の精密検査(超音波検査)にて3cm超の腫瘤が発見されたため、さらに詳しく検査を受けた。がんである可能性は低いとMRIで判断され、針生検はせず経過観察となった。一安心。
- 超音波検査までの経緯↓
乳がん検診後の精密検査(超音波検査)を受けた - つむりの暮らし手帖
予定していた検査は造影MRIと針生検。
当日朝は絶食。娘の食べている朝ごはんがやたら美味しそうに見える。水を飲み、ひもじい気分で病院へ向かう。
再診は自動再来機があるから受付が早いはずと思いきや、保険証確認トラップに引っかかるなど。窓口で保険証を確認しないと受付票がでないので各科の窓口に行けないとかマジか。
— つむり@頭に毬藻が生えている (@TsumuRi) 2022年7月11日
病院には地味すぎるトラップが仕掛けられている。早めに行くべき。
検査室にて体温・血圧・脈拍・酸素飽和度を測ったのち検査着に着替える。検査着の下はパンツだけは履いてもいいけど金属がついているとダメ。ダサパンツ愛用者の私に死角はない。
生理食塩水の点滴を左腕につけ、点滴台を引いてMRI室へ向かう。スタッフ用の裏道は楽しい。眼鏡と点滴台をMRI室直前のロッカーに置き、MRI室に入る前に金属を身につけていないか再確認される。ちなみに歯の詰め物はおおむね問題ないとのこと。*1
上のイラストとは異なり、乳房のMRIはうつ伏せで撮る。U字型枕に頭を乗せ、乳の位置がくり抜かれたマットに乳を合わせて乗る。技師さんが乳ポジを確認、調整。手は伸ばして身体の横へ、バンドで軽く固定される。やる気があれば逃げられるけど、逃げちゃダメだ。
気分が悪くなった時のためのボールを手に持つ。
台が静かに動き、筒に吸い込まれる。
検査時間は20〜30分程度。身動きしないで待つ。
検査の説明書に「木槌で木を叩くような大きい音がする」とあったが、これはまるで嘘だった。壁の向こう側で電動ドリルをゴリゴリやっているような、すぐ近所で道路工事をしているような、マフラーのうるさいバイクがすぐ隣を走っているような、超音波洗浄機のバリバリ音を30倍にしたような、とにかく爆音がした。どれも「木槌で木を叩くような」音ではなかった。なんせうるさいので大きな音が苦手な人は検査用の耳栓をもらった方がいい。
音をボーッと聞きながら空想に没入していると、音が止まって技師さんに声を掛けられる。
「今から造影剤を入れて同じように撮影しますね。あと12分くらいです」
なんだとう!!!
造影MRI検査は造影剤ありなしで2回撮る。造影剤を入れる直前のぬか喜びたるや。爆音再び。造影剤を入れる前よりうるさい気がする。
点滴のラインを自動注入装置に切り替えると造影剤が入ってくる。造影剤が冷たくて血管が若干痛んだ。耐えられないときや、息苦しさなどアレルギー症状が出たときはボールを握っていいらしいが、そこまででもないのでボーッとしておく。血管の痛さよりも左の鼻の穴の入り口付近が痒くてクシャミが出そうで出ない方が気になるのよ。最後までクシャミは出なかったけど。ぐぬぬ。
私は割とボーッとしやすいというか、目の前のものを見ない聞かない状態で目の前に無いものを眺めたり聞いたりするのが得意な性質でよかったなぁとか、どうでもいいことを考えているうちにMRI検査は終わった。点滴のラインを生理食塩水に戻し、更衣室に帰される。
撮影中、磁気の影響なのか気のせいなのか、測定している胸のあたりが軽くビリっとしたり暖かくなったりした。強力な磁気を当てるのでガチガチの肩こりが治るのではないかしらと、何の根拠もない期待をしたけど、やはり肩こりは肩こりのままであった。何の根拠もないからね、残念。
生理食塩水の点滴を外し、ラインは残したまま針生検を受けるため手術室へ歩く。手術室に髪が落ちないよう不織布製の帽子をかぶって入室、手術台に登る。ところが、手術室にやってきた先生がなんだか挙動不審。不穏な気配。超音波で腫瘤を確認しながら「うーんうーん」と呻き、手術室を出て行った。待つこと数分。
針生検は中止になった。
MRIでは乳がんを疑う所見がなかったそうだ。腫瘤の成分は主に脂肪、問題の腫瘤以外に造影剤で染まるところはポツポツあるが、総合的には経過観察できるもの*2である可能性が高いため、現時点でベネフィットの低い侵襲的検査は避けるとの判断。
ちなみに先生が挙動不審だったのは、手術室に入ってからの検査中止が数年に1度あるかないかのレアケースで、つい動揺しちゃったかららしい。超音波検査時の予想*3とは全然違ったので、専門医が動揺するのもむべなるかな。
不要な検査をするところだったこと、不安にさせたであろうこと、ムダに時間を取らせてしまったことなど、ひとしきり謝られてしまったのだけど、そこまで恐縮されるとかえって申し訳ない気持ちになる。検査を準備してくれたのにムダになってしまった。もったいない…
半年後に超音波検査の予約を取る。
お会計9710円也。
車を出したので美味しいものを食べて帰ろうと思ったが、道を間違えてお店にたどり着けないまま家についてしまったのはまた別の話。あずきバーうまうま。
月刊たくさんのふしぎ2022年8月号「石は元素の案内人」を子どもと読む
月刊たくさんのふしぎ(2022年8月号)を手に入れた。テーマは「石は元素の案内人」
著者は「元素美術館」でおなじみの山猫だぶ先生。中の人は猫じゃない!(そこかい)
石ころとキラキラしたものが好きな娘(6歳)に読んであげたくてポチった。娘が図鑑だろうがなんだろうがお構いなしで寝る前の読み聞かせを要求するので、母さんは寝る前に読んでもツラくならない長さの読み物が欲しかったの。
身近なものから始まって、マクロな世界から原子レベルのミクロな世界へ、結晶から地球へ、宇宙へと視点が次々に変わっていく。石に案内されて旅をしているみたい。
ぐるっと旅したら実験コーナー。前半で心を掴まれた子どもは再現したがるのではないかしら。砂鉄くらいは拾いにいこう。原子になるまで割ってみると言われたら、だいぶ困ると思うけど。
娘が、うちの塩で結晶作れる?とか言い出したw
— つむり@頭に毬藻が生えている (@TsumuRi) 2022年7月4日
それ割と地味で大変なやつやで。母さんも子どもの頃にやったから血は争えないと思ったwww
意外な方向の好奇心を見せた娘。そっちかwww
6歳にとって本文はまだ難しいようなので、一度フルで読み聞かせた後は娘が読んで欲しがるところだけ、ショートバージョンで読み聞かせている。何年かしたら「これがあれか」になるときが来るでしょう。多分ね。
気を取り直して、巻末は元素単体の結晶写真。両面フルカラーのポスター綴じ込み。これこれこれこれ。これを娘の好きに見せてあげたかった。結晶美術館の薄い本*1を娘に見せてあげたくて持っているのだけど、娘の好きにさせると紙を破られそうで、本棚の高いところにしまってあったのだ。たくさんのふしぎの紙厚ならば、娘の本棚に入れても大丈夫。娘が多少雑に読んでも破れにくい、と思う。お気に入りのビスマス結晶を好きな時に、心ゆくまで眺めてほしい。
2冊で同じ結晶探しをするのもいいかもね。ちなみに薄い本の方が版型も写真も大きい。
理科で初めて元素や原子に触れるのは中学生、結晶構造に触れるのは高校生だった記憶がほんのりある。それなり難しく抽象的なテーマを易しい解説で楽しめる「たくさんのふしぎ」、今回はじめて手に取ったけど素直にいいなと思った。
以下余談、地方の書店事情。
Twitterなどで前々から告知されていたのに、私のタイムラインには何故か表示されず、発売日当日に存在を知る。近所の書店は定期購読分の入荷のみで、ヨドバシ.comで駆け込み購入。地方都市の郊外に引っ越してもうすぐ1年、特に生活の不便は感じていなかったけれど、福音館の月刊絵本を在庫しているような大型書店に気軽に行けないところだけは不便かもしれない。
定価は770円。ネットは謎に高騰していることがあるので、今だと大型書店の店頭がいいかも。
*1:「同人誌」の隠語
乳がんの本(当事者向け)を読む
図書館で乳がんの本を借りて読んだ。
先日、乳がん検診後の精密検査(超音波検査)で、3cm超の腫瘤が見つかった。今のところ良性と言われているし、さらに詳しい検査(造影MRI &針生検)は今月受けるのだけど、ああやっぱりソワソワする。
「乳がんの本」は、がんセンター勤務の専門医の方が書かれた本。2021年5月発売で割と新しい。検査、治療、再建、副作用、お金、リハビリ、その後の生活について書いてある。とりあえず、これ一冊読んでおけば大体のことは分かると感じた。章末のコラムで一般人によくある誤解を紐解いてくれているところな好感を持った。
良性腫瘍についてはほとんど書いていない。検査段階で不安になって読む人も少しはいると思うし(ていうか私だw)、せっかく検査のページがあるんだから、2ページくらいで書いてくれたらいいのになぁとは思った。
「がんの記事を書いてきた私が乳がんに?!」は、医療ライターである著者が乳がんになり乳房全摘から再建を経て現在に至るまでの体験談を漫画化したもの。乳がんになると生活や心境がどう変わるかの一例として分かりやすかった。よく知ってる人でもいざ告知されるといろいろ回らないのだな……
取り越し苦労で終わることを祈りつつ、高額療養費についてとか、保険契約の確認とか、もし入院するようならその間の家事の想定とか、部屋の片づけとか、色々やってるなう。
6歳の子どもはまだまだアンパンマンエイジ
子どもって何歳くらいまでアンパンマン好きなんだろう。娘(6歳)いわく「アニメは子どもっぽいから見ないけど、絵本はおもしろいから読みたい」そうで。子どもに子どもっぽい言われるアンパンマンw
— つむり@頭に毬藻が生えている (@TsumuRi) 2022年6月25日
6歳の娘はまだまだアンパンマンがお好き。
わたし本人はアンパンマンはそこまで…と思っていたので、娘がもっと幼い頃にアンパンマンのおもちゃやぬいぐるみを積極的に与えたりはしてこなかったし、アニメも積極的に見せてはいなかった。しかしアンパンマンはいつの間にか子どもの心に入り込んでいる。たとえば小児科で流れているテレビ、キッズスペースのおもちゃ、保育園の絵本などを通じて。
そんなこんな娘はまだまだアンパンマンエイジだが、家でアニメを見るわけでもなく、アンパンマンのぬいぐるみやおもちゃで遊ぶでもなく、絵本のアンパンマンを彼女は愛している。曰く、アニメのアンパンマンは子どもっぽいけど、絵本のアンパンマンはおもしろいそうだ。
たしかに、やなせたかしの絵本のアンパンマンは「バイキンマンめ!アーンパンチ!」のワンパターンではない。アンパンマンのライバルとして嫌われつつも人気キャラであるバイキンマンの登場回数は他のキャラに比べて多いが、バイキンマンのイタズラは必ずしもアンパンチで解決するわけではない。また、バイキンマンが登場しない話は、物語の舞台や登場人物の特性によって様々な問題解決に至る。奥が深いぞアンパンマン!
アンパンマンの絵本の文章の長さはひらがなやカタカナを覚える前の子どもに親が読み聞かせるのにちょうどいい長さで、また、ひらがなやカタカナをマスターして文を読み始めた子どもがひとりで読むにも手ごたえを感じる長さでもある。長くお付き合いできるシリーズだし、小学校に向けて音読の入り口にもよいのではないかな。
バイキンマンが出てこない話↓
ジャムおじさんの科学力を感じる話↓
ことは別にアンパンマンのアニメを絵本化したアニメ絵本もあるのだけど、読み聞かせがキツいので個人的にはあまりおすすめしない。やなせたかし作・絵の絵本を推したい。
娘と手を繋いで短い散歩をする夏の夕暮れ
暑い。
とにかく暑い。
6月末にこの見事な雲。
猛暑の中、娘の通う保育園では熱中症予防のため、9時や遅くとも10時までの比較的暑くない時間帯に短時間だけ水遊びや外遊びをさせる。シャワーを浴びてすっきりした幼児たちは帰宅まで冷房の効いた部屋の中で室内遊びをする。子どもの有り余ったエネルギーがその程度で発散されるわけもなく、先生たちはなんだか大変そうだ。
地方都市の郊外である当地は夕方には風が通り、体感的には比較的涼しい。ある日の夕食の後、娘になんとなく散歩を提案したところ、すっかりお気に入りになったようで、日課として組み込まれてしまった。
夕食を済ませてから暗くなるまで、娘と手を繋いで20分程度の短い散歩。普段は自転車で一瞬で通り過ぎてしまう道をのんびり歩くのは楽しい。6歳にもなるとしっかり歩くようになったなぁと思いつつ、保育園であった様々なことを教えてもらいつつ、時々調子外れの歌を口ずさみつつ、テクテクテクテクとただ歩く。
いつまで母さんと散歩してくれるかなぁ。
小学生にもなれば親と一緒に歩きたくないとか言い出すだろうなぁ。
いつまで娘と散歩してやれるのかなぁ。
再検査の結果によっては、のんびり散歩とはいかなくなるかもしれないなぁ。
なんだかしんみりとしてしまう夏の夕暮れ。
母さんの情緒は忙しい。
猛暑とわが家のエアコン事情
室温33℃。デスクワークしてたら汗ばむ程度の気温。これくらいになるとさすがにそろそろエアコンつけた方がいいかなぁと思い始めるけど水分補給してしっかり汗をかきつつ扇風機当ててたらまだいけそうなライン。娘や夫は30℃超えたらあかんらしいので家族の在宅時はエアコンつけっぱになっちゃう。
— つむり@頭に毬藻が生えている (@TsumuRi) 2022年6月29日
この日は午後からエアコンを入れた。6月にエアコンをつけるなんて負けた気分。別になにかと戦っているわけではないけれど。
私はエアコンが苦手だ。室内気温と外気温の差が大きいと身体がついていかなくなるので、気温30℃くらいなら水分を小まめに補給しつつ扇風機だけでしのいだ方が体調がよい。さすがに、33〜35℃になるとエアコンを入れる。
これはパソコンやスマホの放熱対策を兼ねている。このくらいの気温ではパソコンやスマホの本体が明らかに熱くなり、壊れるのではないかと心配になる。今まで壊れたことはないが動作がカクついたことはある。猛暑ごときで会社支給のパソコンを壊すわけにはいかない。
夫と娘は私より暑がりなので2人の在宅時は気持ち早めにエアコンを入れて扇風機をブンブン回す。設定温度は28℃〜30℃。おおむねメーカーの推奨どおり。キンキンに冷やすと私がツラいので、これ以上は下げてくれるなと頼んである。
平日のエアコンの稼働時間は
- 早朝〜8時(リビング)
- 13時〜16時(仕事部屋)
- 17時〜21時(リビング)
- 20時〜23時(寝室)
それぞれ3〜4時間程度稼働でまかなっている。それ以外の時間はエアコンが切れた後の冷気の残りでしのぐ。ちなみに朝は暑くて起きる。天然の目覚ましである。爽やかさはない。
休日は夫と娘が在宅しているので、特に暑い日はリビングのエアコンが朝からずっと稼働している。それを横目に「まだ扇風機でいけるやろ…」と思う私だけど、夫はともかく幼い娘を暑い目にあわせるわけにもいかないので沈黙を守る。なお、娘が生まれる前は容赦なくエアコンを切ってたのは言うまでもない。
都市部では電力が逼迫しそうだと聞く。エアコンをケチると命に関わるので、緊急性の低いところから順に、そうだな、例えばムダにギラギラしたネオンから消したらいいと思う。田舎暮らしの身ゆえ、最低限の街灯*1、誘導灯、店から漏れる灯りさえあれば夜でもそう困らない気がする。特に体温調節が上手くない子どもと老人と病者が体調を崩さない程度に融通してあげてほしいなと思う次第。
今日の参考サイト
*1:現在の居住地では街灯が少なすぎて真っ暗なので、それはさすがにどうなんとは思ってるけどw